2011年7月31日日曜日

ご近所の定例会

私が5年前に移住してまもなく、ご近所10件ほどで毎月末土曜日夜の定例会が出来ました。これがお通り会です。集合は夜8時ですが、三々五々です。会場は持ち回りです。何か食べ物一品もちよりです。昨晩はわたしはソーメンHTOY—ならぬ、冷や麦チャンプルーを大量につくり持参しましたが、味はまあまあ好評でした。昨晩は玉城さんたくでした。写真はそのスナップと、例のオオコウモリのスナップ二枚です。羽を広げてないのが残念ですが、猫ほどもある姿を逆さまにぶら下がったのが、分かりますか。羽を延ばすとイチメートルはありますよ。

2011年7月30日土曜日

那覇の市場糸満の市場

昨日は那覇に出かけたついでに開南近くの太平通り商店街で買い物をしました。ここは安い。なにしろ野菜が持ちきれないほどで650円、それに別名年金通りというそうで、惣菜類が100円以下で買えます。偶然にも平和ネットワークの大島さんにあいました。近くに住んでいて、よく来るそうです。レジ近くの写真は糸満市の農協の大型店舗です。ここも混雑してます。野菜果物が中心ですが、肉類もあります。もう一枚の写真は、昼間門前の木にぶるさがる大きなコウモリです。体長30センチ、翼をひろげると1メートルはあろうというコウモリの怪物です。ぶら下がる木がオオバアカテツで、この木の実をたべにきます。以前は夜にきてましたが、最近は昼間からきてます。

2011年7月26日火曜日

地元潮平しおひらで綱引き

昨晩地元潮平でも、綱引きが行われました。綱引きは豊作祝で、旧暦のお盆前に各地で行われています。潮平では綱引きの綱は半月前に公民館で作りました。綱は毎年イナワラから作ります。稲藁は今では北部の農家から毎年契約して購入しています。今年は稲藁の長さが短かったために、綱も短くなったそうです。綱引きは夕方日の入りころから始まりました。東西に別れての戦いは今年は東組の勝ちでしたが、ニカイセンになってまして、二回めは反対の西組が勝つような決まりですから、結果は引き分けとなっています。大人から子供まで、150人ほどが出ましたかね。暑い夏の行事ですよ。

2011年7月24日日曜日

東京から従兄の娘夫婦が

東京から従兄の娘夫婦がやってきました。初めての沖縄だそうです。長谷寺と南部の戦跡ひめより、平和のいしじなどを案内。お昼は百美ひゃくび、で軟骨ソーキそばセットを食べました。日差しが強いのなんのです。また

2011年7月23日土曜日

個人的なことですが

昨日22日は私の誕生日でした。その誕生日をお祝いして頂けました。写真の皆さんです。手作りのお赤飯、サラダ、天ぷら、ジーマミードウフ、それにケイキなどと食べきれないほど。お昼を挟んで皆さんにお祝いしていただきました。私は手作りのぬかみそをだしましたら、皆さんおいしいと食べていただきました。ケイキには入刀式もやりました。この日は夕刻から憲法9条の集まりがあり、そこでも誕生日だからと夕飯をご馳走になりました。写真はお昼の集まりで。また壷の写真は県立埋葬文化財センターでのものです。私はお陰様で65歳になりました。

2011年7月22日金曜日

バナナのその後です

我が家のバナナのその後を報告します。二枚は、現在のものです。三枚目はかれこれひと月前でしょうか。だいぶ成長しました。一番先端の袋の中に、いわゆるバナナの房とその先の花がくるまれていて。それが上から順に姿を現します。店頭に出るバナナの房はこの一段一段なんですね。こちらにきて初めて知りました。

2011年7月19日火曜日

車のバッテリーがあがっちゃいました

いま那覇の泉崎にきてます。有料バーキンにいれて用事を済ませて戻ったらなんとバッテリーが上がってました。それにこの駐車場では他の車からチャージする設備はないとのこと。やむなくモノレールの指令室長の島村憲二朗さんに救援をお願いしました。そしたらふたつ返事ですぐ飛んで来てくれるそうです。やはり持つべきもねは親友ですね。小学校の同級生で、沖縄では何年も先輩です。彼の退社時間でちょうどよかった。何というタイミングの良いこと!あと15分かな〜待つのはね〜皆さんも気をつけてください。写真は境内の花を載せました。台風はどうですか?ご無事をお祈りしてますよ�

セミの鳴き声をどうぞ

朝の勤行を始める5時ころは、鳥もセミも鳴き出す前。5時20分ころになるとまず鳥が鳴き出します。それから蝉です。それから一日中蝉の鳴き声がうるさいほどです。その鳴き声を収録したので聞いてください。昨日はYWCAの沖縄支部の集まりが長谷寺でありました。私も会員になっています。ヤングウーマンクリスチャンアソシエイションで女性のクリスチャンの集まりですが私もはいれるといわれて入会。楽しいが、なかなか真剣な会議でした。

2011年7月18日月曜日

糸満高校甲子園へ

糸満高校が県大会で優勝、初の甲子園です。皆さんも応援してください。なでしこジャパンは世界一番でしたね。アレヨアレヨト成長していくんですね。女性が強いのがいいですね。台風は沖縄からそれて北上です。内地の皆さんお気をつけて。写真は鳳凰木で、朱色の花がきれいです。お寺の庭です。名前の由来はこの葉にあります。鳳凰の羽にソックリでしょう。あとは我が家のバナナの成長の様子です。人物のある写真は昨日南風原文化センターでの講演会の様子。日本と琉球の祖先が同一だという通説に対する疑問を安里進教授が解説しました。沖縄歴史研究会の公開講座でした。終わっての交流会にも参加してきました。勿論オリオンビールに泡盛とちゃんぷるーです。それでは皆さん台風にオキヲツケクダサイ。

2011年7月16日土曜日

武富の綱引き

昨晩は糸満市武富の6月ウマチーに招かれて参加し、旗頭については前のブログで報告しました。ハタガシラに続いて綱引きです。東西に別れてオヅナメヅナをカナチボウで結んだ瞬間にギョウジヤクの合図で曳きはじめます。熱の籠もった勝負の結果東組の勝ち。続いての二回戦では負けた側が勝つことになっています。負けたままでは恨みが残るので、これは沖縄綱引きのルールです。始まる前に何度も綱を担いでの行進があります。練り歩くうちに興奮してきます。そね様子の写真と一緒に参加した、長谷寺ご近所の手前が金城リキオさん、奥が具志堅勝雄さんです。武富のニーヤーそもそもの地域の最も古い家柄の意味で根っこの家、根家と書きます、ニーヤーの大城セイミツさんのご招待でした。ご馳走になったりして、大城さ〜ん、感謝で〜す

2011年7月15日金曜日

武富の6月ウマチー

今日は旧暦の6月15日の十五夜です。糸満市の一番北の武富にきてます。地元の屈強な若者がたくさんでて、重さ50キロはある旗頭を次々に独りでもちながら、次の仲間に渡していきます。旗頭には五穀豊穣と書かれています。若者の力自慢を兼ねたお祭りです。豊年祝です。沖縄では稲刈りの時期ですからね。これから東西にわかれて綱引きです。綱作りから始めて、今晩が本番です。台風6号が近づいてますが、被害がないことを祈ります。

2011年7月13日水曜日

やっと我が家のバナナに花が

近くのモモジジンイチさんが三年前に苗木を一本庭の片隅に植えてくれたバナナですが、普通は二年目には実を付けるのですが、このバナナは何と三年目にして、やっと花がさき、実をつけました。こちらでは、旧暦のお盆にご先祖様にお供物として青いバナナを上げる習わしです。今年は自前のバナナをあげられます。仁一さんに感謝です。内地の皆さんにも届けますよ〜

2011年7月10日日曜日

糸満市米須こめすの戦争遺跡

糸満市の南部に米須という地域があります。沖縄戦の激戦地である糸満市の中でも最も過酷な地域で、糸満市全体で死亡率36パーセントですが、米須ではなんと59パーセントといいます。この地域には日本軍の基地があちこちに置かれていました。それも激戦地になった一つの原因のようです。写真は一家全滅したという家のものです。国道沿いに地域の方が建てたブロック作りの小屋がたてられています。中には香炉と位牌がまつられていました。それでも地域のかたがたが定期的にまもっているようです。

2011年7月9日土曜日

私の意見その一

ブログをはじめて半年になりました。これまでは私がどんなことをしているか、そんな活動報告が大部分でした。これからは少しずつ私の考えをお知らせしたいと思います。そろそろ東京ではお盆です。7月13日から16日まで。お盆には地獄の釜の蓋が開いて、ご先祖様がこの世に帰ってくると言われています。また昔のデッチコゾウが藪入りに自宅に帰れたのと重ね合わされます。ご先祖様が実家に戻るんだからもちろんその家を出た者も実家に帰って仏壇に手をあわせるくらいはしないとね、となるわけです。それで、お盆には一族が実家にあつまります。そこで迎え盆に迎え火をたき、続いてみんなで食事を一緒にします。この一緒に食事をするのが大事ですね。ご先祖を共通にしていて、ルーツを確認するわけです。私達にとってルーツを確認できることは大切なことです。ルーツがわからないでは、精神のバックボーンが根無し草のようになってしまいます。ですからお盆には実家に集まり、兄の嫁さんのお世話になりますが、一緒にわいわいと孫子まで集まりご先祖様のまえで騒ぐのが精神の安定に極めて良いことなのです。沖縄は旧暦社会ですから、今年の迎え盆は8月1
2日ウンケー15日はウークイ送り盆です。内地の月遅れ盆とほぼ重なります。毎年あの世からご先祖様を迎えたり送ったり、このお盆の行事はなんとしても続けていきたいものですね。さて、わたしもあの世にいったらお盆には帰ってきたいものですね。帰ってきたら、家族の無事を喜び、それから沖縄のオリオンビールで乾杯�して、沖縄料理をたべて〜ゆんたくしてーゆんたくはおしゃべりです、そろそれ島酒つまり泡盛にしますかね〜なんて言って��それに三線さんしんで歌でも始めますか�あさとやゆんたからですか?

2011年7月8日金曜日

マグロの一本釣りの写真は

いのちの電話とは、自殺しそうな人の電話相談を受け付ける制度です。全国で展開してますが、沖縄でもあります。そのスタッフ養成講座でした、マグロの写真は先日報告した東京江戸川区の田澤一慶さんの釣りの成果だそうです。大きいのが今年、小さいのが昨年、いずれも与那国です。田澤さんは70歳をすぎています。すごいでね

命の電話スタッフ養成講座

昨晩は、那覇の安里にあるカトリック教会を会場にしている、命の電話スタッフ養成講座に参加しました。現在行われているのは、前期15講座で、昨晩は4かいめでした。前期講座を12回以上受講すると、後期の実践講座を受講できます。昨晩の内容はカウンセリングの実践的な内容で、相談者を受容しながらも自分の意見をどう伝えるかなどを学びました。なぜ私が受講していらかですが、年間自殺者が3万人を越えて鷹泊していますが、これに住職として何か奉仕できないかを考えていたからです。毎週木曜日夜なので、さぼらないで参加したいです。写真はそのカトリック教会の外観とそこに咲いていたゴールデンシャワーという名前の樹木です。

2011年7月6日水曜日

東京江戸川区からお客様

昨日突然に東京江戸川区からお客様。田澤一慶さんという私の親しい友人です。おそらく東京一番の農業経営者で、現在20人くらいのかたを使って野菜を出荷しています。沖縄には仲買を入れてカネヒデなどに出荷しているそうです。やごうが阿弥陀という名前で江戸時代の初めから続く旧家です。若い時から研究熱心で、企業経営の野菜出荷をしてきました。現在は70才を越えて、年に二回は与那国にマグロの釣りにきているそうです。長谷寺を作るにあたってもご支援頂きましたそれにしても突然現れたのでびっくりしました。またぜひきてください。

2011年7月4日月曜日

突然の訪問者が

午後突然のピンポーンで、玄関にでると二人の男性。これからお骨の納骨をするのを手伝ってほしいと。事情を聞くと、鹿児島で先月亡くなっているのが発見され火葬して今日帰ったところで、部落の長老が葬儀をつとめる予定ができなくなり、頼みと。時間があったので、出かけた。喪主は実の姉さん。ひととおり、葬儀の読経と引導を勤めてから、参加者全員で般若心経などを唱えてもらった。これは私が必ずやっていること。読経の功徳を死者に回向するものです。それから車で5分けらいのお墓に移動して埋葬だが、この一族門中では不慮の死者は仮の墓に埋葬して時期をみて本墓に埋葬するという。なにしろ沖縄では門中と呼ばれる一族により、慣習が異なるから私は、慣習に従うことにしている。慣習が分からないで私に任せるとくれば、私の出番だ。そんなわけでした。写真は近所のバナナの花がさきはじめたのと、ハイビスカスです。また報告します。