沖縄長谷寺について
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2011年2月28日月曜日
東京埼玉に行ってきました
東京から今朝戻りました。埼玉の越谷で研修会の講師をたのまれ、50人ほどのお坊さんにアレコレニジカン話してきました。写真は泉福寺の猫ソラがお手をしているところです。あとは本堂の内部です。幸い暖かい東京埼玉でした。それではまた
2011年2月26日土曜日
糸満市武富の大城さをが
今朝は鐘をつく7時まえから、武富の大城さんが、機械を持ち込んで敷地の除草作業にきてくれてます。昨日に続いてです。昨年の1月末に突然あらわれてからです。長谷寺を沖縄一番のきれいなお寺にしたいと言われます。まことに有り難い人です。以来実際にきれいになりました。また細かなところを手で草取りしてくれる方もあります。住職としては感謝感激雨あられです。これから東京に向かいます。
お年寄りへの支援事業を
一昨日の午後糸満市の社会福祉協議会で、老人の権利擁護シンポジウム話すつなぐ笑顔と題するシンポジウムが開かれました。私も糸満市の独居老人訪問活動のメンバーになっていますので、出席しました。ホールにはほぼ満席の150人くらいが出席。ボランティアはお助けマンちむちむといいます。その活動の報告を社協の大城ゆかりさんがしてから、NHKテレビの特集福祉ネットワーク孤立する家族を救うをみました。大阪府の取り組みです。続いてシンポジウムは沖縄大学の西岡先生が進行役で現場からの報告が四人からありました。内容はまたにさますが。たくさんの知り合いも見えていて、有意義な勉強会でした。合唱
2011年2月23日水曜日
2011年2月21日月曜日
2011年2月20日日曜日
遺骨収集に参加しました
昨日2月19日の西原町に続いて20日今日は遺骨収集に参加しました。写真は糸満市真栄平での遺骨収集あとの慰霊祭での集合写真と、そこにある南北の塔の写真です。遺骨収集したのは24かいめになる内地の道徳団体修養団の活動です。糸満市の大城藤六先生の団体です。今回は70体近くがみつかりました。私はご供養しながら、参加してます。夕飯は糸満のスポーツロッジで皆さんとご一緒でした。とりあえずご報告です。
2011年2月17日木曜日
日本画家の中村潤子先生を
沖縄の長谷寺岡田です。今日は2月17日木曜日。東京から日本画家の中村潤子先生が先日らい来られて、今日は長谷寺にやっとお迎えでました。車で案内してこられたのは、東京での先生の教え子で、こちらで学校の先生をしているある女性。お二人にご本尊様をお参りしていただき、さんにんでと言っても、私と彼女は専ら聞き役で、話すのは中村潤子女史。東京芸大を出てからの一代紀をお聞きしながら、時々質問したり、相づちをしたり。やがてお昼になり、糸満市南部のガラス村の近くの百美というレストラン、まあ沖縄そば屋さん。造園ヤサンの自宅を改造したもので、巨大な石組と松や黒木の庭園つきです。写真はその百美の入口の美しい火炎カズラと中村潤子先生が沖縄そばをたべているところです。このあと先生はひめゆり記念館やマブニなどを まわられました。いまは午後11時をすぎてます。仕事をしてました。またにさます。おやすみなさい。
2011年2月15日火曜日
2011年2月13日日曜日
2011年2月12日土曜日
那覇に行きます
写真は先日の東京のお寺での役員会の模様です。今月中には長男隆法が住職になります。30歳です。昨日は11日で、地元潮平でお葬式がありました。70さいを少し過ぎた一人暮らしの男性でした。喘息の持病があるところに風邪をひかれて息を詰まらせたようです。お父さんと一番上の兄を沖縄戦で亡くされています。喪主を勤めたお兄さんが何度もタオルで涙を拭いておられ、男の兄弟の弟を思うお兄さんの姿に感動をもらいました。今日は那覇のあるお寺の法律相談に行きます。昨年から何度か相談に乗っている難しい案件です。いよいよ最終場面です。話は違いますが、二月も半ばにきて、税金の申告時期です。これもいくつか済ませないといけません。忙しいですね。
2011年2月10日木曜日
忠孝泡盛のギャラリーを訪ねました
豊見城市のナカチにある忠孝酒造の新しくオープンしたギャラリーを訪ねました。社長大城勤さんが、私の質問に熱心に対応されて、2時間以上も熱弁をふるまわれました。多分県内一の施設と展示でしょう。詳しくはまた報告します。
2011年2月7日月曜日
2011年2月5日土曜日
宗教の多元性につきて
沖縄長谷寺の岡田です。今日は2月5日の土曜日。旧暦の3日ハチウクシーの日ですー農作業の初めの日です。初めて地面を起こす耕す意味だと思われます。ハチウクシーのはちは初の意味です。今日は初七日がありました。こちらではハチナンカーと言います。このハチも初の意味です。最初私へ発音だけ聞いて、8番目の7日なのかと思いました。それって49日のあとにやるんですか?と?またイチナンカというのもあります。このイチは5つまり五つのイチで57日忌の意味なんです。こちらではお正月を越えてはいけない決まりと言うのがあり。そこで、旧暦のうちに白木の位牌や白い香炉は片付けてあるのです。そんなこどです。またお知らせします。これから大正大学の先生が沖縄の宗教事情の調査にこられてまして、長谷寺によられます。その様子はまたお知らせします。
2011年2月4日金曜日
旧暦社会の元旦もよう
長谷寺の岡田です。昨日は2月3日で旧暦の元旦でした。夕方に地元潮平の琉球大学名誉教授金城正篤先生から元旦の自宅の宴会に招かれ、小山さんと出かけました。金城先生と高校時代の同級生や友人らと、また先生の教え子の中国人女性三人などが一緒でした。お正月のお祝い膳フルコースをいただき、またビールに泡盛に紹興酒10年ものをいただきました。その写真をそえます。宴会は深夜まで続きそうでしたが、私たちはまだ金城繁雄さんのうちにも寄りますので、10時過ぎには失礼して、繁雄さんのうちに伺いました。子供やお孫さんたちが沢山集まっていました。そこでもお正月のお祝いお膳をフルコースでした。また泡盛もでました。あまり遅くなるのは失礼と11時30分においとましました。帰りは車で送ってもらいました。それで今朝は時間通りにあさのお勤めを一時間ほど勤めました。
2011年2月3日木曜日
旧暦のお正月元旦です
長谷寺の住職です。2月3日は旧暦のお正月の元旦です。沖縄でも糸満市は旧暦社会と言って、旧暦を守っています。今朝はこの次の日曜日にある部落あげての生年祝いのための泡盛二本と、いま字潮平の歴史編纂事業をすすめている資金にと金一封を届けるために、涌谷川区長さんを訪ねました。区長さんとの話を終えてデルと、向の金城弘次さんの奥さん千恵子さんが呼びとめるものですから、おじゃまして、お正月料理をご馳走になりました。そこからあちこちより、キビガリヲしていた金城正春さんとしばらく立ち話ししてから、4時すぎに金城モリコサンちによると、またまたお正月料理をご馳走になり、ビールもご馳走になってしまいました。そこに来あわせた具志堅勝雄さんに寺に送ってもらいました。ついたら部落の金城せいとく先生からご自宅に7時には来てとのお誘いです。どうしましょうか?
2011年2月2日水曜日
またまた、おおみそか、です
今日は2月2日水曜日で、旧暦の大晦日です。明日が元旦になります。写真は前に紹介した私の玉ねぎ畑の様子で、玉がだいぶ大きくなったのが分かりましたか?それに朝焼けの様子。
糸満地域では旧暦も守ってますから、明日は元旦のお祝いをして、明後日は初めての参拝、地域の礼拝すべき場所に参拝します。そして色々な門中(むんちゅう)の代表が井戸(潮平カー・すんじゃがー)の上の広場に集まり、一年始まりの顔合わせをします。私も例年参加させてもらっています。そんなわけです。明日は新年です。
糸満地域では旧暦も守ってますから、明日は元旦のお祝いをして、明後日は初めての参拝、地域の礼拝すべき場所に参拝します。そして色々な門中(むんちゅう)の代表が井戸(潮平カー・すんじゃがー)の上の広場に集まり、一年始まりの顔合わせをします。私も例年参加させてもらっています。そんなわけです。明日は新年です。
2011年2月1日火曜日
沖縄南部の火葬場
平成23年2月1日水曜日、今日はお葬式がありました。
那覇には最新版の火葬場イナンセ火葬場がありますが、糸満市や八重瀬町、南城市地域は、豊見城市(正式にはとみぐすくしと読みますが、最近はとみしろと読む例が増えています)、の火葬場を使います。長谷寺から車で20分かな。ここは設備が古くて、火葬に3時間かかるので、一度戻って骨揚げには出直します。こちらでは、出棺火葬がさきで、葬儀告別式は後でやります。これも全国に例があります。写真はその火葬場のガジュマルの木と火葬場の様子です。駐車場が狭いので、別の葬儀のグループが先になっていますと、後からのグループが入れないで渋滞します。今回もそうでした。途中で私が車を進められないで困っていたら、潮平の地元の方が見かねて、私の車をなんとかするから住職は歩いて行きなさいと言ってくれました。後から私の車を届けていただけました。有りがたいことです。まあ私が地元でどんな扱いをうけているかの象徴のような出来事でもあります。火葬場は建て替えの計画はあるらしいけどいつになるやらです。
昨日の葬儀のあとで、遺族の一人から皆さんの前で私に話がありました。地元の住職だから何でも話せるし何でも相談ができると。これがよそからきた知らない人だったら、こうはいかないと。そうで゜す。それが檀家制度の内地では、檀家と菩提寺の関係から気づかれた信頼関係があるのですが、沖縄は檀家制度がないので、その信頼関係が築かれていないのです。もっとも内地でも檀家制度が最近は機能不全になって信頼関係が崩壊に瀕しているので同じかもしれませんね。
那覇には最新版の火葬場イナンセ火葬場がありますが、糸満市や八重瀬町、南城市地域は、豊見城市(正式にはとみぐすくしと読みますが、最近はとみしろと読む例が増えています)、の火葬場を使います。長谷寺から車で20分かな。ここは設備が古くて、火葬に3時間かかるので、一度戻って骨揚げには出直します。こちらでは、出棺火葬がさきで、葬儀告別式は後でやります。これも全国に例があります。写真はその火葬場のガジュマルの木と火葬場の様子です。駐車場が狭いので、別の葬儀のグループが先になっていますと、後からのグループが入れないで渋滞します。今回もそうでした。途中で私が車を進められないで困っていたら、潮平の地元の方が見かねて、私の車をなんとかするから住職は歩いて行きなさいと言ってくれました。後から私の車を届けていただけました。有りがたいことです。まあ私が地元でどんな扱いをうけているかの象徴のような出来事でもあります。火葬場は建て替えの計画はあるらしいけどいつになるやらです。
昨日の葬儀のあとで、遺族の一人から皆さんの前で私に話がありました。地元の住職だから何でも話せるし何でも相談ができると。これがよそからきた知らない人だったら、こうはいかないと。そうで゜す。それが檀家制度の内地では、檀家と菩提寺の関係から気づかれた信頼関係があるのですが、沖縄は檀家制度がないので、その信頼関係が築かれていないのです。もっとも内地でも檀家制度が最近は機能不全になって信頼関係が崩壊に瀕しているので同じかもしれませんね。
ラベンダーが満開です
真冬のない亜熱帯の沖縄でも、本土の寒さが押し寄せています。それでも長谷寺の庭ではラベンダーが満開ですし、緋寒桜も株によって満開です。今朝も鐘をつきに具志堅さん。金城リキオさん、シオヒラ塩せんべいの小山さんが来ました。最近豊見城市の忠孝酒造が観光客が見学コースを作ったそうで、小山さんは私をそこに案内してくれるそうです。私も一度見学コースをみてみたいと思っています。また報告じす。