2011年6月30日木曜日

ご近所で物置つくりの手伝い

今日はあちこち行ったあとご近所のリキオさんちの倉庫作りの手伝いしました。写真はその骨組みが出来上がったところで、あとの写真はリキオさんちの庭で放し飼いになっているウサギさんです。いまヨンヒキいます。

2011年6月28日火曜日

南風原文化センターで

昨日初めて南風原文化センターを見学しました。武運を地域あげて祈る場所としたり、また天皇の写真を飾る奉安殿が学校におかれて軍国主義の高揚にやくだったことなどが説明されています。南風原文化センターを初めて訪問しました。南風原市はえばるし、と読みますが、が設立したもので、戦時中にこの黄金森の地下に造られた陸軍病院を再現したり、沖縄の明治以来の歴史を分かりやすく展示したりしています。ここで企画展杉山英一戦時中の地下豪の写真展が開かれています。写真はセンターの外観と杉山さんの映した遺骨発掘現場のものと、杉山さんが新聞に載った記事を持って映したものです。このセンターの展示には沖縄の古来からの礼拝所を内地の神社化するために在郷軍人会が鳥居を建てさせたりし、出征兵士たことが解説

2011年6月25日土曜日

慰霊の日のマブニ

慰霊の日のマブニの沖縄県主催の式典では、参加者5000人ほどで、県知事と県議会議長が政府に反対の意見をいいました。

コンパクの塔の慰霊の日

6月23日の慰霊の日の、沖縄南部糸満市米須の魂ぱくの塔の様子です。周囲にたくさんのお供物があげられています。普段にはないことで、慰霊の日特有の様子です。ここにはお線香も供物もあげることができます。平和の礎はお線香や供物はあげられないですが、こちらは上げられますますから、こちらにおまいりされます。

古謝美佐子さんのショット

慰霊の日に長谷寺で行われたコンサートのワンショットです。ご本尊さまの前で、三線を引きながら歌うのが古謝こじゃ美佐子さんで左の奥が演奏する佐原一哉さん、左手前の白髪の方が証言した対馬丸の遭難事件生存者の平良啓子さんです。平良啓子さんの証言が一時間、美佐子さんが2時間の熱唱でした。美佐子さんのCDは私が少しまとめて買いましたから、欲しい方はご連絡ください。0988523533まで。参加者は超満員で150名近くでした。コンサートでは長谷寺始まって以来でした。

2011年6月24日金曜日

古謝美佐子さんとのショット

昨晩の演奏のあとの交流会でのスナップです。古謝こじゃ、と読みます、美佐子さんは舞台ではとても大柄ですが、実物はご覧のように小柄で温かみのあるかたでした。なかなかの熱唱の2時間でした。その間にご本尊に向かって合掌したり、実際に涙をながしたりしながらの熱演でした。米軍に腕の拳を振り上げるのではなく、歌の小節で訴えられればとも話していました。なかなか参加できないライブでした。もちろん長谷寺の無料コンサートです。住職として、皆さんに良いお布施ができたと思います。

県の慰霊の日に

昨日は沖縄県慰霊の日でした。正午をきしてマブニの祈念公園では公式式典が行われ県知事やカンナオト首相などが24満犠牲者に誓いの言葉を述べました。普天間の移転先をヘノコとする日米合意を再確認したばかりの首相は、沖縄の負担軽減を抽象的に繰り返したのみで、普天間には触れないままでした。私はマブニからコンパクの塔に移動し、そこの民間の反戦集会に参加しました。ヘノコや米軍ヘリコプター基地新設反対をしている高井などからたくさんの方々が集まり報告しあっていました。毎年こちらにも参加してます。県主催では聞けない沖縄の生の声がきけます。夜は長谷寺で毎年恒例の法要をもち、沖縄戦の体験者の証言には対馬丸の生存者・平良啓子さんの生々しい体験談をやく一時かん近く公演していただきました。続いてコジャミサコさんの歌とトーク、旦那さん佐原一哉さんが演奏と司会で2時間近く熱いライブでした。写真はその場面。出自まで語りながら、ある時はご本尊様に向かって祈り、絶妙な二人のやり取りと、米軍基地を無くす強い思いを体験談を交えて、また直前の平良啓子さんの話を受け取っての話と歌の披露でした。沖縄でお寺のコンサートは
初めてと、熱唱のライブに皆さんも感激感謝でした。またご報告します

2011年6月22日水曜日

明日は沖縄県の慰霊日です

毎年県主催の慰霊祭がマブニであり、ことしも管首相がでるそうですが、長谷寺では毎年夜に追悼法要と体験者の証言を聞き、今年は対馬丸という学童疎開船の生存者平啓子さんのお話をききます。そのあと古謝美佐子さんの追悼コンサートをやります。ぜひお出かけください。

2011年6月21日火曜日

東京で宗教関係者が基地のない沖縄の集会

東京で金曜日に宗教を超えて、沖縄から基地をなくすための集まりが発送しました。カソリック、プロテスタントなどや、仏教関係者などが、衆議院議員会館に200人ほど集まりました。当面普天間基地の撤去とヘノコ移転を認めないことで、特に内地で活動を強めることになりましたー写真はその集会と、せんぷくじでの被爆者関連の編集会議の様子です。

2011年6月16日木曜日

慌ただしく東京行きです

今年になって東京行きや関西いきが毎月あります。今回も今日夜中に着いて土曜日夕方には戻ります。用事は仏教やキリスト教などの沖縄基地問題の会合があります。宜野湾飛行場のヘノコへの移設を認めないということで、かなり広範な宗教関係者が集まりますので、沖縄からも出て欲しいと言われました。ほかに適任者がいますが、声をかけられたので私がまずでてみます。沖縄カトリックの押川主教さんも出ます。押川主教はこの会のそもそもの言い出しっぺ、余り表現はよくないですかね?ですから出席は当然でしょうが。まあ出てみて、次回からは沖縄で相談してみます。まあなにはともあれ、本土の宗教関係者が沖縄の基地問題にやるきになっているのはいいことです。ついでに自宅にもよります。まだ東京は暑くないらしいので、体調管理が大事。沖縄長谷寺では6月23日の県の慰霊の日の夕方に、追悼法要とツシママル証言とコジャミサコさんコンサートをやります。ぜひ参加をお待ちしております。

2011年6月15日水曜日

沖縄の葬儀事情

今日は地元潮平のご婦人83才の方の葬儀で、いまお骨拾いまえに早めに火葬場についたとこです。こちらでは出棺して火葬にして、一度自宅にもどります。それというのも火葬に2時間以上かかるからです。お骨拾いをしてから、たもどり、一般的には4時から葬儀告別式にします。告別式を終えてから納骨にいきます。朝から1日かかります。簡単な報告です。写真は近くの老朽化した火葬場です。また

2011年6月5日日曜日

定例会でのこと

第一日曜日は坐禅と勉強の定例会。今回は沖縄のあちこちの漁港で漁師のまつりハーリーハーレーという、手で漕ぐボート競争祭りが行われていて、参加者が少なかったのですが、女性三人が残ってスリッパを丁寧に洗って干していってくれました。天気がよかったので、たちまち乾いてきてます。写真は前にきてくれた中村潤子画伯をセーファー 斎場うたきに案内したときのものです。世界遺産ですーそれではまた・