2011年4月21日木曜日

東京から2人のお客様

昨日20日東京から2人のお客様。ひとりは新小岩の牧野ノリコサン、ひとりは八王子から浅井さん。2人を南部の戦争遺跡に案内、最初豊見城市の海軍壕記念館。沖縄守備の海軍が全滅した場所です。大田司令官の最後の日本政府あての電文に、この戦争に特別に協力した沖縄県民に将来特別の配慮をお願いしますとありました。しかし現実の戦後の政府はなにをしたのでしょうか?長い米軍占領を許し、復帰後も米軍支配は続き、いまだに本土から差別的扱いを受け続けています。海軍壕のあとは、沖縄戦争の後最も早く作られた遺骨の記念碑、コンパクの塔です。南部の海岸から100メートルほどの場所にあり、遺骨が35000体も納められたようです。5キロ四方の場所から集められたようですから、どんなに犠牲者が多かった分かります。兵士だけでなくひめゆり部隊のような看護役の軍属、それに一般住民もたくさん入ってました。それが碑の説明文では無名戦士の碑だとされています。誰がどうして書いたのでしょうか?まえから疑問に思ってましたが、これをきかいに訂正を申したてようと思います。そこからほど近いひめゆり祈念館に。沖縄戦争記念館で一番展示と説
明文がしっかりしています。ここは戦後いち早く土地をアメリカ人で沖縄二世のかたが買い上げて寄付してくれました。そこに記念館ができました、それに政府の援助なしに運営されてますから。時の政府の介入をうけないできています。県立の祈念館は知事が代わると展示内容がかきかえられたりしがちです。そんなわけでやはりひめゆり祈念館はピカイチです。あとマブニの平和の礎いしじにいき、韓国人の記念碑にもオマエリしました。沖縄戦争で韓国人は一万人以上が亡くなったと言われてます。昨年は日本が韓国を占領して百年でした。韓国人の碑をお参りすると、沖縄戦の被害届加害の両面が分かります。お昼は以前紹介した百美ヒャクビでした。浅井さんの飛行機に合わせて、帰路糸満のお魚センターに寄って、ご近所との夕食にとお刺身カマボコモズク天ぷらなどを買いました。浅井さん牧野さんの入って写真、ひめゆり前とマブニを添付します。