2011年1月30日日曜日

島村さんが友達を連れて

モノレールの島村さんが同僚二人を連れてお参りにみえました。そこでお昼を地元のバス会社の食堂にいき、安くておいしいのを食べました。そこから、沖縄戦の三万五千のお骨を祀ったコンパクの塔にいきましたら、三人とも初めてと。菩提樹えんにより、真壁のチナーというレストランによりました。戦前からある古民家です。彼らがたまに来るというゴルフ場パームヒルズにもよりました。バブルの最盛期にできたもので豪華な造りです。そこから長谷寺近くの戦績シオヒラ権現豪により、そこから、戻りました。長谷寺でも緋寒桜がヒトカブ満開に近いのがあります。全コース5時間の案内でした。写真を添付します。

2011年1月29日土曜日

これから羽田に向かいます

羽田に向かうリムジンバスにのりました。泉福寺からクルマで5分の一之江バス停から出ています。羽田まで約40分です。便利です。叔父の息子のケイジュンさんと法要のお導師をつとめて頂いた辻さんを紹介します。故人の思い出話がたくさんでて、いい一周忌でした。私も思い出話を含めたご挨拶しました。来年は三回忌です。それまで健康にきをつけて、また再会したいと願いました。もう葛西駅前です。またお目にかかりましょう、�

熊谷にいきます

今朝はこれから熊谷に行きます。いま電車のなかです。あと一時かんほで、着きます。私の叔父の一周忌です。わたしは二歳で父親を亡くしましたから、父親がわりの叔父でした。大正12年生まれで、学徒で兵隊にいき、九州久留米の連隊で終戦。戦後中学校の先生をしながら、あちこちの戦後復興を進めました。東京の泉福寺の復興もてがけました。小学生の夏休みに赤城山に連れて行ってもらったことや、東京にくると錦糸町の映画館に連れて行ってもらったことが思い出されます。今朝は泉福寺にでも氷がはってました。その写真です

2011年1月28日金曜日

東京あちこち

今日は東京あちこちあるいています。神田から霞ヶ関周辺、いま桜田門から有楽町線で護国寺に向かってます。桜田門から霞ヶ関周辺の写真を添付しました。私も五年前まではこの界隈を闊歩してました。それから人生が転回して糸満市のシオヒラに移住してます。本日の内容はまた報告します。護国寺は私の宗派の全国本部があり、これから宗派の総長さんと意見交換です。

2011年1月27日木曜日

東京に着きました。リムジンで江戸川区に

写真は長谷寺の紫色のシランの満開のようすです。羽田からのリムジンです、約30分で一之江駅に着きます。そこで家族が迎えてくれます。あとは10分弱で泉福寺です。今回は泉福寺の住職を長男に交替する大事な会議のためです。またついでに明日の午前はある弁護士との大事な打ち合わせ、午後は日弁連の会議、夜は宗派の総長さんと意見交換です。そして土曜日は父親がわりだった熊谷の叔父の一周忌です。盛りだくさんになりました。一周忌が決まりましたから、また日弁連の刑務所に関する会議が丁度前日にはいりましたから、ほかも入りました。

写真忘れましたから

知らんでシラン

シランが満開

紫色のシランが満開です。昨晩はご近所さんがきてくれました。今日私が内地にいくので送行会だそうです。ついでにあちこちきれいにしてくれました・有り難い皆さんです。

2011年1月26日水曜日

ご近所が集まりました

今晩はお寺にご近所が集まりました。

お歳暮がまだ売られていますが

写真は今朝のご本尊さまです。糸満長谷寺の住職です。今日はカネヒデスーパーに買い物に行ったら、お歳暮が売り場に積まれているさーあれ�ナンダコレ、売れ残りが、つまれているの?それにしても値段は下げてないみたいだけど?とそこまで疑問に思って、やっと理解しました。沖縄ではこれからお正月さ〜旧暦のお正月は、2月3日が旧暦元旦なんです。わかっていたハズなのに、やはり頭に半分しか刷り込まれてなかったんですね。新暦と両方やってるもんだからね。長谷寺でも角松はまだそのまま、建てられています。松の葉がかれているので取り替える話をしています。お歳暮の沖縄らしい特徴は、お米とチキンやマグロなどのツナ・フレークの箱詰めでしょう。サラダなどに便利なもので、こちらではよく利用されているからです。お米は5キロ10キロですかね、お歳暮専用の箱がつきます。内地ではお米はあまりみられないですね。あと今日はフードバンク糸満のことで、社会福祉協議会と市役所の福祉部などを回ってきましたー前回よりいい反応がありました。明日は東京にむかいます。大事な仕事があります。土曜日にはもどります。留守中は向の具志堅さんがやっ
てくれます。

2011年1月25日火曜日

ブログのしくみ

糸満長谷寺の岡田こうりゅうです。私の次男がお正月休みに手伝いにきていて、私のリクエストに応じて、ブログを作って帰りました。その基本のコンセプトは、差別用語になるかもですが、私に向かって言うには、猿でも分かる仕組みに設定することデシタ。いま、これは携帯から、自分のブログを書いています。更新もできます。ですから、わりと頻繁にできます。おいおいに

2011年1月24日月曜日

栃木の若いお坊さんをひめゆりの塔などに案内

とりあえず、関係の写真だけの報告です。

大手業者が葬儀に参入、知ってましたか?

 昨年イオングループが葬儀業界に参入し、お布施の目安などを表明して、安すぎるなどの話題を呼びました。その後ファミリーマートが参入し、丸井グループも、また三越伊勢丹のエムアイカードも参入となりました。葬儀全般を扱い、葬儀業者とお寺とお坊さんを傘下におくことを狙ったものだと言われています。なにしろ会員の数はナンビャクマン単位です。いまでも葬儀業者の下請けをやるお坊さんもいますが、もっと下請化がすすむはずです、しかたがないと言う面と、果てや何とか抵抗できないのかと思いましたー!など、です。なにはともあれ。
 葬儀業者のいいなりや、使われるのは、お坊さんの堕落ですねという意見。皆さんはどう考えますか?大きな施設や会場をもたない使い易いお坊さんを獲得していくのですね。まあ時勢とはいえ、なんとかならないのでしょうか?あとは使われないと決められるお坊さんがどれだけ現れるかですね。
 弁護士の世界でも、最近の改革といわれる制度改変で、国選弁護士を選んだり使ったりする組織が、弁護士会から国の出先機関に変えられてしまいました。被疑者被告人を守るには国と対立しなければならないのに、それを国の出先機関が管理したら、戦わない弁護士と弁護になってしまいます。以来私は制度が本に戻るまでは国選弁護士はやりませんと宣言してやってません。しかし、大部分の弁護士はやむなしと、いやいやながらも制度を受け入れてます。まして最近の弁護士粗製濫造時代に生み出された弁護士は、仕事がないから国選弁護に飛びついています。貧すれば貪するの例えどうりです。過去の戦時中の大部分の弁護士がそうでした。時の政権に唯々諾々と従い協力したのでした。いまも日弁連執行部は、そのいつか来た道を歩んでいます。なんか回りくどい話になりました。
 抵抗するのは難しいのが、いつの時代も同じかなという、ゴマメノ歯ぎしりです。すみません。栃木の若いお坊さんの話は明日にします。オヤスミナサイませませ。合掌

今日は栃木県から若いお坊さんたちが来ます

長谷寺の岡田です。オハヨーございます。写真は同級生の島村君と朝の釣り鐘の様子です。
 昨日は東京から小学校同級生の石井君らが来ていて、そのメンバーらと一緒に那覇の古波蔵で夕飯をたべました。7人でしたが、結局石井君が全部ご馳走してくれたようです。
 石井くんは私の東京の自宅泉福寺の30メートルくらい離れた隣のうちです。一緒に遊んだ仲です。彼は地元の信用金庫につとめて支店長までやって定年退職しました。自宅は農家です。
 今回その支店長仲間3人で来てます。昨日はゴルフをしたそうです。
 同じ同級生の島村君がこちらのモノレール会社の指令室長をしてます。沖縄は私より長い、8年くらいいます。そんなわけで、昨日は島村君の友人の新嘉喜あらかきさんも来ました、新嘉喜サンは元小学校校長先生です。実家は糸満でお豆腐やさんだったそうです。昨日の帰りは私の車に何人か乗り、運転代行で皆さんを自宅近くに配達してからお寺に帰りました。沖縄ではどこにでも運転代行があります。ですから行きは自車ででいき、帰りは代行に頼んで帰れます。このほうが往復タクシーより遙かに安上がりです。
 今日午後は栃木県から若いお坊さんが9人きます。ひめゆりなどを参拝してから、チラウミ水族館方面にいくようです。沖縄長谷寺には、内地の各地からお坊さんがきてくれます。檀信徒をつれてみえることもあります。お坊さんだけのグループもあります。ちかいうちに、これまで5年間近くでどんな内地のグループがきてくれたか、整理してみようと思ってますが、なかなか忙しくて手がつしいていません。資料はしっかり残っていますので、やればできます。それでは明日また会いましょう。合掌

2011年1月23日日曜日

日曜日は朝、具志堅勝雄・チエミさんちで、コーヒーを頂きます

長谷寺の住職岡田です。日曜日の朝は七時に鐘をついたあとで、むかいの具志堅勝雄さんちでコーヒーを頂く習わしです。今朝も地元の小山さんと武富の大城さんと連れ立ってコーヒーごちそうになりました。小山さんは自分で作った塩せんべいを、大城さんは蜂蜜ビスケットを持参。コーヒーとこれらがあうんです。おいしく頂きました。8時まで、ゆんたく、ゆんたくとはおしゃべりのことですが。リキオさんは昨晩遅かったんでしょう。欠席です。毎日が日曜日のわたしでも、坐禅会のない日曜日はなんとなく時間がゆったり流れます。今朝は気温が14どですが、風があり少し寒く感じられます。西の空には十五夜を過ぎたお月さんがまだ明々と残っていました。こんな私でもまだ多少法律問題をかかえています。最近私が成年後見人をしていたお年寄りが亡くなりました。その後の事務手続きが残っていて、それを仕上げないとなりません。茨城県水戸の有料施設に入っていました。後見人は家庭裁判所に選ばれます。ですから最後の財産の報告を家庭裁判所に行って、問題がなければ任務終了です。最後に少しの報酬を裁判所が決めてくれて、それをいただきます。
それでは今回はこんなところです。合掌

2011年1月22日土曜日

参拝の方々が続けてみえます

 今日は土曜日です。午前中は晴れてましたが、午後は曇りに風が強くなりました。
 浦添市と宜野湾市から仲良しの2人の女性がお参りにみえました。二人は太極拳をやってます。その内の独りは、毎月宮古島に教えに行きます。一人は車を運転できないので、いつも二人は一緒です。私も肩こり症なので、三人で菊池体操の肩こり症を治す部分をしました。すっきりしました。     そこに私の東京時代の小学校以来の同級生の石井もりまさ君が友人二人を連れてお参りによりました。26日までいるそうです。みな同年齢です。そのうちの一人は脳梗塞の経験者で医者に勧められて、冬場は沖縄で暮らしています。それも豊見城市に一軒家を買って3,4ヶ月だけ住んでいます。わざわざ買うこともないのに、とは外野席の言葉です。車もクラウンを買って置いてあります。そのクラウンできました。いろんな人がいます。ご本尊様を真剣にお参りして、しばらくゆんたくして、御守りをめいめい買っていきました。明日の晩に、こちらの友人らと居酒屋に行くそうです。わたしにも誘いがありました。あいているかどうかです。それでも同級生はいいもんです。石井おまえ、なんて話が通じますから。
 話は変わりますが、私の家庭菜園の野菜に、EM菌の薄めた液をかけました。生ゴミを容器にいれて培養してます。その液を出して、薄めたのを使います。私の家庭菜園では、いまレタス、サニーレタスと、人参とタマネギとワケギネギです。あと蕗ふきがあります。ふきは前に紹介しました。内地では冬場は枯れるのに、元気に葉が茂っています。上のはその写真です。横になった写真です。今日みたらフキノトウの芽がふくらみかけてます。やはり沖縄は温かいのです。あとの写真はタマネギの収穫したものです。また玉が小さいのですが、こんなのを取って上のネギの部分も食べます。全部で100個植えましたから、収穫の時期まで待たないでどんどん食べるつもりです。白いのと赤いタマネギを50個づつ植えたんです。楽しみです。このタマネギを植えた畑は具志堅勝雄さんの畑です。植えたら水まきなどの管理は勝雄さんがやってくれています。私は植えたらあとは無農薬と無関心でいいのです。収穫は私がもらいます。もっとも勝雄さんも別にタマネギを植えてます。私より早く植えて、少し早く大きくなってます。のんびりと時間がながれていきます。合掌

昨日はどこに出かけたでしょうか?

糸満長谷寺の岡田です。昨日は午後すぐから地元の初七日のお宅にうかがい、まずはお昼をいただき、それからお経をあげました。私は内地でもそうしてましたが、お経は皆さんと一緒に般若心経などをお唱えします。それはお唱えすることに大きな功徳があるからです。それから参加者が全員お線香を上げます。こちらではそれからお墓参りにいきます。お墓は車でいきます。沖縄の南部は特に大きな共同墓に埋葬されます。門中はムンチュウとよみます。門中墓はたくさんの人がはいれます。そこへお参りにいきました。納骨です。納骨のさいに独特の納骨儀式があります。帰りには参加者皆さんに、お供物を配ります、ウサンデーと呼んでます、おすそ分けですが、部落の方々50人くらいが参加してますから、泡盛で手をきよめてめらい、お供物を少しずつ配ります。これも布施行です。これで自宅にもどり夜はまた地域の大勢がきます。だいたいこんなながれです。また詳しくお知らせします。合掌

2011年1月21日金曜日

きのうはあちこち出かけました

糸満の長谷寺です。
 きのうは午後から那覇にでかけ、帰りに国際通りで、お菓子を買いました。国際通りは沖縄で一番にぎやかなところで東京でいえば銀座通りといったところ。最近の東京でいえば、新宿や渋谷、原宿、お台場?などでしょうか?県庁前から、安里三叉路までの約ニキロくらいの両側に主に観光客相手の土産品店やホテルがひしめいています。
 その中でも県庁前に近いところにあるのが「お菓子御殿」という名前の首里城正殿を模したお店。沖縄の菓子業界でもトップの売上を誇ります(お菓子のポリュシェという社名の店の)最近できた店です。何と5億円もかけて建てたときています。 
 内部の写真を添付します。売場も広いし、お菓子造りも見学できる造りです。内部はお客様でごった返してました。私はここで少しずほぼ全商品をかいました。これを福島のアヤチャンに送ります。なぜって、アヤチャンが昨年言うには、沖縄にはおいしいお菓子はないと。それをきいて、私は言いました。それはおいしいお菓子をたべたことがないからです。こんど送りますから。食べてみてください。そんなわけで、送ります。アヤチャンがなんと言うか?楽しみです。参った。沖縄にもおいしいのがたくさんありました、となるのを期待してます。
 その後ほんとうに綾ちゃんにお菓子を送りました。お菓子とかまぼこを色々な種類を混ぜて送りました。そうしたら、今日1月24日着いたと電話がありました。こんなにたくさん食べられないけど、みんなで食べてあとで感想を連絡しますとのことでした。こちらのかまぼこは、内地の薩摩揚げのようなものと、例の板の上の紅白のかまぼこを含んで、全部かまぼこと呼びます。薩摩揚げという名称はありません。こちらは薩摩は嫌いです。いまから401年前に薩摩に侵略されて支配下に置かれました。だから薩摩はタブーみたいなので、たぶん薩摩揚げは使わないのだと思います。薩摩揚げよりも昔から、こちらはかまぼこと呼んで揚げ物を作ってきたのでしょう。そのかまぼこが薩摩経由で内地に伝わったので、内地では薩摩揚げと呼んだのでしょう。沖縄が元祖というわけです。
 もう一つの写真は、お習字の会の新年会のものです。昨晩先生のお宅の稽古場でありました。ここは糸満市の有名なロータリー交差点から少し南の「がだばる」という地名のところです。皆さんの手作りや持ち寄りでおいしかったです。もう一人の男性が先に帰ったので、私一人が男性です。私はお稽古はまじめに通ってませんが、このいう節目節目の行事には必ず参加しています。
 ついでにここの地名の「がだばる」ですが、これを漢字で書くと「潟原」となります。潟は新潟の潟で、要するに低い湿地帯の意味です。原はもちろん原っぱです。ここら一体は戦争中も湿地帯で時には海水も浸水する地帯で、その南の国吉丘陵地に展開する日本軍を攻める米軍戦車が、この湿地帯に足をとられて何台か運行不能になったという話を聞いたことがあります。その湿地帯が今は開発されて新興住宅地になっています。今日はこのへんまでにしておきます。合掌

2011年1月19日水曜日

フードバンクのイメージです

フードバンクの設計図です

  糸満市内関係各位様
平成23年1月19日
      901-0302 沖縄県糸満市潮平1番地    
 沖縄山城間院 長 谷 寺 
電話098-852-3533
FAX098-852-3534
住職 岡 田 弘 隆
 「フードバンク」とは「食料銀行」の意味です。
 食料だけではないのですが、主として食料を、いらなくなった者と必要としている者の間で、中間にたって中次ぎをしようとする活動のことです。
 もともとアメリカにはじまった運動のようです。近年日本でも活動が各地で活発になりつつあります。
 この沖縄でも、那覇で組織が誕生しています(別紙の資料をご覧下さい)。
昨年の後半には沖縄市社会福祉協議会がこのフードバンクの運動に正式に参加すると報じられています(別紙の新聞報道をご覧下さい)。

 私たち糸満市に住む何人かは、このフードバンクの運動に興味をもち、別々に勉強会に参加したりしてきましたが、その後お互いに参加の意欲をもっていることを知り合いました。平成22年の年末に、糸満市社会福祉協議会を訪ねて、事務局長に最初にお話させていただきました。
 また平成23年に入り、糸満市役所に社会福祉部長を訪ね、お話をさせていただきました。その際に、部長から分かりやすい説明の資料を作成したらどうかとアドバイス頂きました。

そこで、この資料を作成するところとなったものです。
私たちは、今年平成23年を糸満市でフードバンクを実現する年にしたいと思っています。
そこでまだ不十分ですが、フードバンクの構想を図面に描いてみました。図面は後で貼り付けますから、とりあえず頭の中に描いてください。
真ん中に「フードバンク」という組織があります。
左側にフードバンクに食品や日曜品を提供する企業や会社や個人があります。右側に提供をうける側があります。児童養護施設、母子寮、障害者自立支援組織などです。
その間を取り持つのがフードバンクです。図形はあとでまた添付してみますが、フードバンクの良いところをいくつか紹介してみます。
 食品を主に提供してもらうのは、市内の食品の製造業、小売業者、レストラン、食堂、ホテル旅館などです。またJA・農協や農協市場や個々の農家も入ります。その他、市内の個々人も提供してもらう側になりえます。
 こうした所から、安全で賞味期限内の食品、例えば缶詰、レトルト、乾麺類、お米、乾物、味噌醤油塩などの調味料、野菜などを提供してもらいます。
食品以外ではタオル、制服、洗剤、洋服、学用品なども入ります。まあイメージとしてはバザーに並ぶような品物を想像してみてください。
 それも基本的には捨てる物、捨てられる物です。
捨てるんだったら、もったいないから、提供してくださいというわけです。この提供することから得られる効果は、以下のようなものです。
 1 提供する方(会社)は、まず捨てる、廃棄する費用が、かかりません。
 2 困っている人々を助けることができます。
 3 ゴミを減らすこともできます。
 4 提供することでその企業の宣伝・社会貢献と企業イメージの向上に役立ちます。
 5 身近なところで、エコ活動やボランティア活動にもなります。
良いことばかりです。
 フードバンクは、それらの提供をうけた物を、今度は必要としている方々に届けます。まあ中次ぎをします。
児童養護施設、最近タイガーマスクで話題になっているところです。また母子支援組織、母子寮や暴力から一時避難しているシェルターなどでしょうか。また障害者自立支援施設、高齢者の要支援世帯、ホームレス支援団体や直接ホームレスの方々という場合もあると思います。

 そしてこの仲を取り次ぐのが「仮称・糸満市フードバンク」です。
準備会を何度かもって、正式に NPOなりの組織として発足していくものと思います。スタッフと配送車と倉庫が必要になりますが、それはおいおいにでしょう。 当面は、個人が運搬車両と倉庫を提供して運営できるでしょう。
 その際に、食品などを提供する側からも、また提供を受ける側からも、フードバンクの組織に入っていただいて、その両方の要求・ニーズを聞きながら運営ができれば最高だと思います。
 また糸満市の社会福祉協議会や市の社会福祉部なども、人員を送っていただけると助かります。提供する側をまとめている、例えば市の観光商工課も人材を送ってもらえるといいでしょう。
 そんなことを考えるに至りました。先日の市の社会福祉部長さんのア゛ドバイスをいただいた結果が以上です。部長さんには心より感謝申し上げます。
 とりあえず、フードバンクのイメージをまとめてみましたので、その上は皆さんからのアドバイスをたくさんいただければと、お願いします。

今年は、糸満で「フードバンク元年」となりますよう、お祈りします。 合掌

2011年1月18日火曜日

フードバンクって、知ってますか?

糸満長谷寺です。皆さんフードバンクを知ってますか?訳すと食料銀行です。これを今年は糸満市を中心にやろうと計画してます。内容は、賞味期限が残っていて、廃棄される食品を提供してもらい、それを必要としている養護施設や独居老人やホームレスの人々に提供する、その中を持つボランティア組織のことです。昨年の後半から考えがあり、沖縄にも那覇に組織ができていますので、そこの勉強会に参加したりしてました。ところが意外にも長谷寺に熱心に参加している若者たも、以前から関心があったというのです。そこで年末に糸満市の社会福祉協議会の事務局長さんを訪ねて、趣旨を説明しました。そしたら内容は結構なので、会長にも伝えておきます、となりました。今日若者の一人カカズさんが来てくれたので、早速市役所に行ってみました。そしたら、知り合いの商工観光課長の金城善まさるさんが、社会福祉課に連れて行ってくれました。そしたら部長と係長が話を聞いてくれました。私は長谷寺フードバンクを作るのは簡単だけど。最初から幅を広げて長谷寺の枠を超えて、関心がある人には誰でも参加してもらえるようにしたいと話しました。そしたら意外に素晴らしいアイデアのヒントをもらえました。コノツヅキハまたにします。合掌

2011年1月17日月曜日

沖縄お葬式事情

沖縄長谷寺の住職です。今日は長谷寺のある糸満市潮平地域のお葬式がありましたから、お葬式事情をご案内致します。一日がかりのお葬式です。一昨日土曜日の午後に亡くなられた94歳のおはあちゃんです。お通夜は昨晩ですが、こちらではお坊さんはお通夜には行きません。私はご本人を知るためにわざわざいきます。枕経をお上げして、そしてご本人のことをあれこれ聞きます。特によかったところをたくさん聞きます。お元気でやってきたことを聞きます。聞いたことをお戒名に生かしておつけします。そしてお戒名の意味を説明した書面を作成して葬儀の朝に喪主と関係者に配ります。
 葬儀の1日はまず午前中の早めに出棺のお経やお別れをして、火葬場まで行って火葬にします。今回も部落のほとんど全員がお焼香にきていました。火葬場にです。お骨を拾うまで三時間かかるので、一旦帰ります。それで骨揚げです。そこには近い関係者がきます。それから戻って3時半から身内の葬儀です。そして30分後に一般の方々のお焼香です。普通は1時間用意します。それから大きな共同墓に納骨に行きます。終えるともう夕方です。それから遺族は部落の拝所と呼ばれる聖地をお供物をもってお参りします。何カ所かあります。伝燈が生きています。
 私も全体にご一緒します。従来はお坊さんは全部には一緒しなかったようですが、私は勉強もあるので時間が許せばできるだけご一緒するようにしています。そんな沖縄の葬儀事情です。合掌

2011年1月16日日曜日

桜が咲いた

前のと逆になりました。写真の順序がです。桜とムーチーとサーターアンダギーです。サーターアンダギーの大きいのは直径10センチ、小さいのはニセンチです。桜は10月さくらです。内地からのもので、花はソメイヨシノににています。これが大木になれば沖縄で名所になるはずです

桜がさき、玉ねぎが

第三日曜日は坐禅かいと勉強会です。終わってからユンタク、雑談しました。先日のムーチーがまだ頂いたまま残ってましたから、それを皆さんでいただきました。あとは砂糖菓子サーターアンダギーです。たまたま大きいのと中間のとミニサイズがありましたから、写真に納めました。順序が逆ではいりきれません。あと私が二年まえに植えた内地の10月桜の満開と。カニステルという果物熟すと味はホクホクのカボチャに似たあじですが、それに私が育てている玉ねぎの様子をカメラに納めました。10月桜は春と秋と二度咲きます。今が秋だと桜は思ったのでしょうね。

2011年1月15日土曜日

ご近所のリキオさんです。

土曜日で、ご近所の金城リキオさんがよりました。そとは雨で、畑をやれません。晴れていれば畑をやりますが。午前中は実家のお母さんのところに行ったそうです。まだ外は明るいので、ビールには早すぎます。お互いに。

2011年1月12日水曜日

今朝は気温が11どで最低です

沖縄長谷寺です。今朝は気温が11どで最低気温です。雨もふってます。でもさすがに沖縄。蓮を植えた池にはオタマジャクシが泳いでますし(2番目の写真)、紫のシランガ咲いてます(1番目の写真)。また夜はカエルの鳴き声がたまに聞こえます。そんな風景を添えます(三枚目は門松の一部と長谷寺の掲示板が写っています。四枚目はご本尊様の写真で、ある会社の安全祈願のお札が並んでいます。)。皆さんのお正月はいかがでしたか?今年もよろしくお願いします。住職 岡田弘隆 南無観世音菩薩 合掌です。

2011年1月10日月曜日

旧暦のムーチー

沖縄長谷寺です。沖縄では色々な伝統行事が旧暦で行っています。その一つがムーチー。旧暦の12月8日の行事です。新暦では1月11日火曜日です。ムーチーを漢字でかくと鬼餅と書きます。鬼を追い払うお餅の意味があります、モチコお餅の粉に砂糖とベニイモなどの粉を混ぜて水で耳たぶ位にこねて。これを月桃(げっとう)の葉っぱにくるんで、蒸し器で30分ほど蒸します。これで出来上がりです。写真はほぼ作業の順番どおりに並べてみたものです。月桃の葉は特有のおいしい薬草のような匂いがして、これがお餅の防腐剤にもなります。゜月桃は別名サンニンともいいます。写真を添えます。
月桃は長谷寺の境内にたくさんあります。沖縄戦の最中の昭和20年6月ころに丁度月桃の花が咲いていました。ですから戦争体験者にとっては、月桃の花の季節は戦争の記憶と重なり合います。こちらの反戦シンガーソングライターの海勢頭豊(うみせど ゆたか)さんの曲に「月桃」というのがあります。その一番の歌詞は「月桃ゆれて花咲けば 夏の便りは南風 緑はもえるうりずんの ふるさとの夏」2番は「月桃白い花のかんざし 村のはずれの石垣に 手に取る人も今はいない ふるさとの夏」3番は「摩文仁の丘の祈りの歌に 夏の真昼は青い空 誓いの言葉今もあらたな ふるさとの夏」4番は「海はまぶしい喜屋武の岬に 寄せくる波は変わらねど 変わる果てない浮き世の情け ふるさとの夏」5番は「6月23日待たずに月桃の花 散りました 長い長い煙だなびく ふるさとの夏」6番は「香れよ香れ月桃の花 永遠に咲く身の花心 変わらぬ命変わらぬ心 ふるさとの夏 ふるさとの夏」とあります。
この歌は1982年に作られた歌で、その後1996年に映画「がま 月桃の花」の主題歌となりました。月桃はショウガ科の多年草です。歌詞にある「うりずん」とはその頃の季節の呼び名で「潤染」と漢字で書きます。山も畑もそして家々も全てが沖縄の梅雨の雨によってぬれて染まることを表しています。そこで、潤う・うるおうという漢字と、染まるという漢字を当てていますが、この漢字は当て字だと思います。沖縄戦はそのうりずんの季節にあたりました。避難の毎日が梅雨のさなかにくり返され、その中で多くの人々が倒れ、また日本軍の犠牲になり、また日本軍の命令で集団自殺に追い込まれていきました。その生き証人がまだまだたくさん生存していて、証言活動を行っています。月桃はそんな記憶とも重なる植物です。
ムーチー・鬼餅の説明から、沖縄戦までについつい話が及んでしまいました。今後も機会があれば、話はあちこちと飛びますので、よろしくおつきあいください。住職 岡田弘隆 です。南無観世音菩薩 合掌

2011年1月8日土曜日

うるま市までちにました

今日午後うるま市の仲嶺に行ってぎました。高速沖縄北インターでおりて海に向かう途中です。市民芸術劇場の近くです。活動はんいがひろがりました。

2011年1月7日金曜日

夜の新年ちょうちんの灯り

沖縄長谷寺では、年末から新年にかけて、山門からちょうちんを飾って、皆さんをお迎えしています。赤白のちょうちんとオリオンビールのちょうちんがあります。オリオンビールのは、オリオンビールからの寄贈です。夜の雰囲気を送ります。

2011年1月6日木曜日

明日のヤマト運輸安全祈願の御札の準備が整いました。

祈願をしてから参加者全員でお経をお唱えします。ヤマト運輸は今年で四回めです。

沖縄長谷寺の朝のご本尊、観音様です

私は毎朝五時すぎから、朝の勤行を約1時間ほどしています。周囲の静寂の中でのお勤めは、楽しみの一時でもあります。その中で皆さんの仏道成就と病気平癒と家内円満と諸願成就とをお祈りしています。もちろん世界の平和も大事なお祈り一つです。さらには沖縄戦の戦没者戦災犠牲者の成仏もお祈りしています。毎朝のお祈りについてと、朝のご本尊様のお姿をご報告しました。ご本尊様は像髙4.5メートル、身の丈3メートルの十一面観世音菩薩様立像で、大仏師松本妙慶さんの作になるものです。松本仏師は平安時代の運慶快慶仏師の系統に属する慶派と呼ばれる仏師の現在の正当な継承者です。松本仏師との出会いはまたの機会にお話しましょう。